「ヒロノシン、大事なもの落としてるよ」。絨毯の上からブツを拾った世帯主が僕に語りかける。いちいち報告してくれなくてもいいのになぁ。で、僕は聞こえないふりをする。
何かといえばヒゲ。鼻のわき、目の上、ほお、あご……、僕たち猫の顔にはたくさんのヒゲがはえている。しなやかそうに見えて、実はなかなかの剛毛なんだよね。アンテナの役割もするし、確かにとっても大切なものなんだ。
世帯主には一回り年下の弟がいる。幼かったときに彼は、実家のタラさんのヒゲを切っちゃったんだ。それも全部根元から。ほんの悪戯だったんだろうけど、タラさんに与えたダメージは大きかった。平衡感覚が狂って、当時住んでた3階のベランダから2階へ転落してしまった。
ヒゲがないと間が抜けた顔になってしまう。そのうえ、ようやくのびたと思ったら、みんな枝毛になっちゃって、ますます情けない顔になっちゃった。タラさんはしばらく傷心の日々を送ることになったんだ。
注意点は他にもあるよ。
「あれ?」。掃除をしていた世帯主は見慣れないものを床に見つけた。僕と暮らし始めて初めて迎えた3年前の正月のことだった。
黒光りするワイヤー状のもので、長さは10�ほど。先に行くほど細くカールしていて、反対側の端は付け根のようで太くて硬い。世帯主は昆虫の触角を思い出した。で、色と長さから考えると……。
「巨大ゴキブリかコオロギ!?」。息をのんだ世帯主は床にへたり込んだ。絶望的な気持ちになるのも当然だよね。留守にしてたり寝ていたり、自分の知らない間に、でっかいゴキブリが部屋を走り回ってるかも知れないんだもの。
「ヒロノシン、どうしよう!」。ただならぬ気配を察知してそばに寄っていった僕を抱きしめた。「知ってるなら教えて。私たちの部屋に侵入してるのはどんなヤツなの?」。じっと目を見つめてきた。
その時だ。僕の顔を包み込んでいた両手に触れる、あるものに世帯主は気がついた。「もしかして……」。ようやく床からブツを取り上げて何度も見比べると、それが何かを理解した。
シズカやノドカのヒゲだったら、真っ白だからすぐに分かっただろう。やっぱり黒って色が悪かったんだね。考えてみれば、体の毛も抜け替わるんだから、ヒゲだって抜け落ちて当たり前。もちろん自然に抜けるぶんには問題はないよ。
というわけで世帯主も今では拾ったヒゲで遊ぶ余裕さえ見せるようになった。シズカやノドカの頭やほっぺはもちろん、あちこちにさしては遊んでる。困ったことに、先日、久しぶりに会った世帯主の友達が変なことを教えてくれたんだ。
友達の家では、家猫さんのヒゲを拾うと、縫いぐるみの鼻の横にさして猫みたいな顔にして遊んでるんだとか。それを聞いて、自分でもやりたくなった世帯主、人形の物色を始めちゃったんだよね。やれやれ。
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<今日の筆者>いとう・ひろのしん(下の黒猫)
雑種。1998年夏、大阪箕面市生まれ。かに座(推定)。きれい好きで、お人(猫)好し。忍耐強さと面倒見の良さには定評あり。得意技は洗濯機もぐり。しずか&のどかという血縁関係のないスコティッシュ・フォールド種の姉妹猫と同棲。飼い主は麻布小寅堂店主。
いとう・しずか
スコティッシュ・フォールド種。1999年大阪豊中市生まれ。しし座。得意技はラッコ寝と、後ろ足投げだしほふく前進。近所の動物病院では「スコティーのシズカちゃん」として人気。2歳年下の妹ノドカと、ヒロノシンという黒い雑種の雄ネコと同棲。飼い主は麻布小寅堂店主。
★このコラムは某ウェブサイトで2000年1月〜01年9月まで続いた連載コラム「21C(世紀)の猫」のアーカイブです。現在の家族模様を織り込みながら、キャッ!といってしまいそうな楽しい話題をお届けします。
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